少し脱線したが つまり クンダリニーの生命エネルギーは基本的には誰にでもその肉体内部にあるものなのだがそれが 発現して自由に使えるかというと それはまた別の問題であり その人物の精神レベルによるのだ。 人類の精神状態が進化して多くの葛藤を克服して多様性における調和と自らの我執にとらわれなくなるという平和を実現した時には自ずと それは 解放されることになっている。 そういう風に人間は最初から作られているのである ところが この大陸に反映した人々の クンダリニーはその時 ほぼ全開していたのである。 ここにムルタム 文明の特殊性というものがある。ひとつには ムルタム大陸 自体が独特な場の中にあったという環境の問題。 もう1つがそこに住む人々の クンダリニーが開いていたということだ それによってどういう状況が展開されていたかというと ある 意味 ムルタム文明は地球上における人類の多様性と調和という一つのピークに達していたということが言えるのである。 だから 本来はここで終わっても良かったのである しかし サタン 4回目の転生の影響は人類の 類魂= 集合魂に大きな傷を負わせてしまった。 ムルタムにおいては 人類や幻人 これは妖怪系の人々のことだ さらには 精霊に近い存在 たちもが混じり合って その多様性を究極まで味わいつつ 優れた調和を実現していた 幻人や聖霊たちはこの時点で地球進化の道のりを ほぼ終えていたと言っても良い。 実は人類もその可能性は十分にあったのだ 精神性と言うか その高みを求めて人類はその時もっと先まで行くべきだったのである。 しかしここでは単なる 超能力 文化 で終わってしまっている それが実現し得なかった理由はもちろん 人類 自身にあるのだが その命題は未だ不可能に近いような壁として人類の前に立ちはだかってもいるのである 人類はその命題の来るべき所以を探り 果たしてその命題が 人類に解けるものかどうかを問わなければならないということ気づかなければならないということなのだ。