サタンが亡くなって次第に人々は彼をある意味 英雄視していくようになる。 荒神というか そうした カテゴリーの力ある神として崇め祭り サタンという名を送る。 当時 その言葉は 智慧者 という意味が強くあって人々の畏怖を踏まえた上での尊敬の思いを込めて 送り名 であった。現在ではそういう意味はすでになくなってしまっているはずだ。 この時から地球 霊界には 地獄というはっきりとした教育が形成されていった。 それまでは ぼんやりとしたくらい霊域はあるにはあったのだが サタンは人間の人類の悪という概念を浮き彫りにして 善と悪という対立関係を明確にしていったということがある。 これによって人類の霊的な二元性という枠が確立されその枠の中でのいわば 修行というものがはっきりしていたのである。 しかし サタン 自身はそうした 面倒な理屈よりも 人の中にはそうした欲望や快楽があるのだから とことん それを追求すれば良い。 あるものを享受してどこが悪いのか。 という明確な ポリシーというか 理念を持っていた。 ここではあまり触れていないが サタンはやはり 生前 かなり 残酷なことや 酷いことを平気でやっている。 もちろんこの時代は大概の人がそういうことをしてはいたが それでも サタンの仕打ち ははるかに その域を超えていたのである。 ここで一番問題になってくるのはカルマという概念だ。 サタンがそうした他人に対して行った行状のカルマ というものがあってそれが彼をして 地獄の最下層に閉じ込めているのだと普通人々は考える しかしこれは違っていたのだ。 カルマとは 実際に稼働しているリアルな地球 領域のシステムなのだが この概念を随分と勘違いしている人々が多い。 サタンはむしろそうしたカルマというものにとらわれている人々をそこから救ってやる というくらいの思いで いたようであった。このカルマ というものは後で説明する。 何故地獄界を作ったのか 彼曰く 自分で自分のいる場所を作っただけ と返答している。 そしてそれから約200万 年間 そこに引かれた者たちだけが集まってそういう世界を形成していったのである なおエンタ フーは今でも サタンと一緒にいるようだ その地獄界で共に存在している。 単純に地獄界と言っているが 地球 霊域には 数 限りない ヒエラルキーが存在していて 天上界 最上階から地獄界 最下層階まで区切りがなく そこにあるべき 魂の境界に応じた世界が形作られ、完全にそこで満足しているわけではないのだが それでも一番そこが落ち着くというか その時点で最も 自分に合った環境で存在しているようだ。 この地球 霊域の諸段階だが多くの誤解があるようなので これも後で説明する。 天上界の上だから偉いとか地獄の下の方だから劣っているとかではないようだ。 要は価値観の問題なのだがそこがまた我々の一番の命題である二元性という枠の限界 でもあるようだ。