制限のその先の世界

我々は固定された物質世界の中にだけその自我があると自分でそう決めている状態の石継続としてある。 それを観測し続けていると自分で決めている状態ともいう。 これらのコードの中にいれば、それは本当の世界の姿としての、基本それは魂魄物質が表現される確かに立体映像の様にしか認識できない差異領域( その様に、違うと認識しなければ理解できないのが我々である、その持つ限界だ) 、これが多数派、業界標準、工業規格、などなどの認識に似たものだという理解には到達できない。 接近も出来ない。

世界に大きさや時間があるのは、その様に決めなければ観測者の我々が困るからそう決めている。 またその様にしか決められない程度の単位時間に処理できる情報の量が小さいというのもある。 世界が粒子的なモノであるのなら、オーム宇宙と名付けられているこの領域が今もの凄い速度で収縮しており、光の速度で200兆年はかかる広大領域が、あと100万年もしない内に、ただの位置座標になってしまことの理解が得られるわけもない。 わたしはこの一見ものすごい壮大な動きに見えるそれも、存在なる領域は基本、この座標においては大体は相似形として情報が一本貫かれている所の劣化の度合いの観測変化でしかないと捉えるので、これは… そうだな、LHA、LZHの時代における情報圧縮の圧縮解凍、そしてそこからのデーター回復欠損などの流れとあまり変わりのないものだろうとしか思わない。

過去に救世主の話をした。 それは粒子的なモノとしての個別の器の中に閉じ込められている地球の入力情報、そしてエネルギーの受け渡し口の設定という捉え方も可能だし、確かにそれは分かりやすいのだろうが、わたしの捉え方はそれとは違う。 そういうのもあるかもしれないが、基本的にそれは地湧の…… なんだったか忘れた、弥勒だか観音だかの概念情報の周辺領域に存在した、この星におけるすべての生者が、自らの精神の認識を数段階引き上げることによる肉体の進化改変を伴っての、認識思考演算力行動力の向上というところからくる、その星の全体改善、それに向けた、それにつながる全体行動という風に基本捉えるので、それは「 入っていき抜けていく、流れていく ち か ら のさま」 ととらえる。

スタンディングオベーションなる児戯を人類社会に適用した時に、地球から発信された強いエネルギーと情報は、全体改善がなされていない人間器の中に留まる事は基本無理なのでそれは抜けるだけになるが、その動きの中で、器の中を通り抜けているそれらの情報パケットとエネルギーがある間、それと同化していると感じられるほんの短時間、その器は今までにない大きな何か力を表現する。 それらは一瞬に過ぎない。 しかし波が伝わっていくようにこの人類世界にそれらが伝播されていくと、そしてそれが循環しながら練られていくと、段々とレベルの高い情報パケットとエネルギーに触れている器の中から何割かは何パーセントかは、自らを変えていく。 変えきれずに死ぬものも出る。 それら損失、損耗率のラインをどこにひいているかは分からない。 しかし人類全体の何割かがそのラインを超え、以前とは違った改善状態、合理、高能率な状態、こういうものを得る可能性はある。 その全体状況を救世主というのならそれはそうだ。 救世 をする あるじ なのだからそれも可だ。

貴方が世界を造っているのである。 誰かに造ってもらっているのではない。

あなたが世界を創っているのである。 それを思い起こすがいい。


2019523木曜