無力なるものは夢を見る


人は大きな力に接近していると その力に認められていると感じられている その状態においては自分自身なる 本来のちっぽけな 座標が持っている実力というものを大きく見誤る 
 
自分ができること というのは結局のところ 所属している組織 または 付き従っている人物のエネルギーが大きいのであって自分なる小さな座標には何の力も能力も 権限もないということを見失う 
 
人間のほぼ全てはそれでできている。 これが近代社会における 弊害とでも言えるものの一部だろう 
 
ありもしないもの つまり この場合は実力を あると設定した上で大きく人々に対して 命令を下す 強制力を行使するとでも言えることがずっと続いていた 
 
それを我々はどう見るのか そんな人間は真っ先にそれらのシステムから引き離し そしてその上で 自分なる座標には何一つ 力がなかったのだということわからせるというか分かってもらうのが全体のためにとって良いのだが 現実はそのように は動かない 
 
エゴ に振り回された状態の それらの存在が システムの運行に関連することを許す だけの流れになっていた 
 
そのことが いろいろなところで 軋轢を生み そして かけなくてもよい時間とエネルギーをそうした、問題でもないことに 解決するという 触れ込みで注入 せざるを得なくなっていた 
 
そうしたことの全てを円滑に導くのには 人々が一人一人が自分自身には何の力もないのだということの第一歩を認めること 
 
そんな社会に移動しなくてはならないということを 私は言う
 
が一旦 それら 力ある座標に移動してしまった人はそんな自らを振り返り 自らの力を手放すとでも言えるような動きは毛頭を行わない
 
だから 既存なる この世界というのはずっと変わらない形で尖鋭化されてきた 
 
つまり 権威というものをベースとして 権威のない人々に対する影響 権利というものを執行するだけの世界になっていた 押し付けるだけの世界になっていた 
 
そこには 知恵はないし 理性もない 心の中にある 正しきものとでも言えるものもない 
 
そうした迷妄の海に我々は沈んでいた 今もそうだろう 
 
気づくということは本来 それを修正しなくてはいけないのだが 自らのその優位性というものを捨ててまで自らを変えるという そんなすごい人 私は見たことがない 
 
つまりそれが 現行の人間の限界 設定された限界の一つなのだろうなと勝手に思っているのである