言葉の牢獄

自分の人生で会うこともない人間に対して言葉で説得を試みる しかしそれは洗脳 とも言うし 共同 とも言うし会話 とも言うし いろいろあるだろう
 
が 所詮 言葉だけ これを投げかける行為を続ける それによって何を求めているのかは知らないが その言葉の群れの中で怒ったり わめいたり 勝手に 世界を構築し 勝手に自分を傷つけてそして再び人を呪う 怒る 
 
しかしそれらの一連の行動の中に何かを生み出しているという結果は解答はない 
 
人の集まる 言葉の集積 領域というのはだいたいはそういう 言葉の牢獄によって人々を閉じ込めてしまうシステムと して機能している 
 
そして そこに埋没してしまうことが大好きな人は 自分自身でその牢獄に喜んで入り そして喜んで鍵を内側からかけさらにその上で 内部にしつらえてあるかのような テレビやネットをイメージする 情報 送受信装置に向かって 自らの喜怒哀楽を 表現し 
 
エネルギーと時間を 浪費するのが 快楽 娯楽 脳内麻薬の分泌 色々あるけれど 楽しくて仕方がない  私はそれらの領域を 坊主どもが 中世のヨーロッパの坊主どもが集まってなんだかやっている建物 象牙の塔 と言った
 
人々はこの象牙の塔から 出るのを 嫌がっているというよりも そこにずっと痛いのだな そこにいることが 現実世界の中においての 自分の 友達の少なさ とでも言えるもの カバーできる 格好の空間なのだな と理解した
 
だが人間というものは言葉だけで生きている存在ではない 肉体もまた 実存から続く 反映の一つだ それは言語だけで構成されていない 切り分けることはできないが 言葉だけで全てが構成されているわけではない 
 
彼ら 言葉の労奴たちは 言語も 肉体感覚の 体も バラバラな状態のままで あーだこうだといい募っている 私が正しいと 誰かに認めてもらいたがっている 
 
私の言うことを聞きなさいと 他人の業績を泥棒してそれをいかにも自分が行ったものだと偽装しながら 騙しながら説得とやらを行っている 
 
人間は所詮その程度のものなのだ が やはり この言葉を 私は出さざるを得ない 
 
美しくない  一言で済むもの 10万語を費やし 長く語るべきことを言わず 走ればいいことお その時の 状態を 感想文にしてしかも 想像の感想文にして提出し 彼らの中には 現実というものが存在しているのか と 私はここまで 疑う
 
私はいつも上から目線だし 根性が腐っているしろくでもないが そうした 言葉の牢獄の住人には なりたくない
 
私には何もなく 知恵も知識もなく金もなく 権威もなく 学歴もなく 学力もなく 権威もなく 何もない だが私は 私なりのあり方で 一生懸命に 生きているつもりではある あくまで つもりでは しかないだろうが 
 
その 何もない 私が思うに 彼らなる座標の言うところの進化だとか 覚醒だとか 次の段階というものは 多くのものをひれ伏せさせて付きしたがえてそれらのものを犠牲にして燃料にして養分にして自らだけが先頭に出
 
その先頭の その先に誰かにさらに自らを守らせると言った どうしようもない 既存の 世界の雛形の構造 そのままを ミニチュア化したものでしかないなと このように決めてしまう
 
私の見え方は常に間違っているが ごちゃごちゃ言う前に間に何かを生み出していればいいのではないのか 

世界の人々は地球は待っていてくれないのだ 時間がないということの意味

これを何一つ 理解しようとして しない人は 自らが捨てられてしまうということに対しても 何の 推察 洞察 察知 何の気づきもないのだろう 

いい加減その 鈍感を自分の自己セールスとして商品として構ってもらえるうちが花だということも気づかず 自己表現の真似事をするのはやめておいた方がよい

やり方を変えろということ 私は言うのである