その行為が苦しければ苦しいほど 神に近づくと彼は信じていた。魂はそれを望んで理解しているが 肉体 意識はいつの時代でも 恐怖に震えている。 ここに Y ちゃんの事件の源流があった。 そこを踏まえて もう一度現代の事件を振り返ると 男女2人の犯人の方が逆に Y ちゃんのカルマに巻き込まれているという形になってしまうのである。 犯人の男女は もともと死ぬ気ではいたのだ。 でも犯人たちの社会に対する恨みがYちゃんのカルマを引き受けたという形になっている。 この事件はある 意味 現代の人類の行き詰まりの一面を物語っているところがある 。多くの未熟な 魂が自我我欲にとらわれ 周囲に大きな悪影響をまき散らしながら活躍している。 これが自分だけというのなら まだ仕方のないことなのだが 自らが社会のため 人類のため 良かれと思い込んで、実際は幼い女の子として生まれて、その後の両親や家族 周りの人々の思いというものを考えずに 今回 女の子として生まれた自らの肉体 想念が大きく 傷つき 悲しみと恐怖にまみれていても、ほとんど その魂の自己満足にしか過ぎない快楽だけのために 周囲 社会への新たなカルマをまき散らしていることは 救いようのない 今の地球の状況を象徴しているかのようだ。 全く同じではないのだが そういう 魂が非常に多いということも事実なのだ。 我々がこの事件でどうしても納得できないのは 新たに この現代に少女として生まれた魂のどこにカルトに狂う男の面影があるというのかということ。 おそらく 表面では伺うことのできない 深層意識の奥底にそういう カルマが発動する部分はあったかもしれないが それにしても表面意識の Y ちゃんという 無垢な少女の 意識はその時 恐怖に震え 希望の未来が一瞬にして絶望に変わっているのである。 それを思うと魂 というものの持つ不可解な機構に疑問を持たざるを得ない。 Y ちゃんの周囲の人々も わけのわからない 事件に巻き込まれて ここでも悲しみと怒りと憎悪という新たなカルマが生じてきているのかもしれない。 しかし 上の方に伺ってみると それもまた 必然であり 魂の気づきだということである。 ご家族の方々 関係者の方たちも深い部分では縁があって Y ちゃんという 魂を受け入れたというところがあるということ。 何かしら 縁があってそれゆえの必然ということでもある。 言われたのは いい 悪いということではない というのだが やはり 釈然としない気持ちがある。