妖怪たちは自然霊 という大きな形の働きになって進化を続けていくことを選択した。人間も 妖怪もある 意味 ピュア 純粋といえば ピュアな存在だ。 それは 赤ちゃんのように純粋な存在であるということではあるのだが 反面 幼いということでもある。共に地上で進化をしていく上で自我というものの獲得が1つの目標だった。 その過程で妖怪たちはお互いの多様性を認め合うという形で自我を獲得してゆき、人間は多様性を認めない 自分たちとは違うものを排除していくという形で自我を形成していった。 妖怪たちの自我は独立した尊厳のあるものだったが 人間の自我は、自我というよりは 幼児のエゴに近いものになってしまったのである。 妖怪たちは 幼児と争うということを選ばなかった。 彼らは黙って 地上から去って行ったのだ。 残された私たち人類は相変わらず自分を主張し 他者を省みず、求め奪い、育てず 廃棄していく 種と成り下がってしまったのであろうか。 エル・ランティ 日本の過去で2005年前後における1つの凶悪事件があった。小さな子供がなぜか知らないけれど 殺されたという そうした事件だ。詳細な情報はここでは割愛する 。 問題はその小さな子供 Y ちゃんという言い方にするが その Y ちゃんがなぜ どうしようもない男に殺されなければならなかったのだろうかというところから入る。 Yちゃんと男の過去世において 何か関わりがあったのではないかと推測できる故に Y ちゃんの前世を確認した。直前の前世は 200年前の日本であるある。 地方で 疫病が蔓延していてそれをおさめるために人身御供として彼女が山に置き去りにされている。 この時も Yちゃんは少女であった。現代の殺された Yちゃんも少女である。 そして 過去のおの時の彼女は山で 狼に食われている。 直前の前世では男とYちゃんの関係性が見えてこないのでその前を見る。 その前は 2000年前のエジプトだ。 ここでも女の子の時に橋の建設のための人柱になっている。 人柱とは 橋を建設する前に工事の無事と出来上がってから 橋がちゃんと機能するように祈願するために、工事の竣工の時に橋の柱の穴の部分に人間を入れて埋めてしまうことだ。 これで2回 少女の時に人身御供になっている。 考えてみると 今回の生でも 少女の時に殺されているので ここまで来るとそのあたりに何やら怪しいものを感じる。 そこで もう1つ前の前世を見る。 4000年ほど前のメソポタミアで、文明は バビロニアの頃だ。正確には BC 2080年で ハムラビ法典が出る少し前のことである。 ある特定の宗教にはまってしまっている人物で、この時は少女ではなく 男性だった。 その宗教の教えは社会の負の部分をマイナスの部分を自らが背負うことによって それが自分の魂の修行になるというものだった。 男はほとんど 狂信的というほどこの教えにかぶれてしまっていて この時の人生では その身体を 獣に生きたまま食わせて死んでいる。 その行為が苦しければ苦しいほど 神に近づくと信じているのだ。