ここで話している私というのは

自我、エゴの私ではない

ニサルガダッタの 提唱している 私は在る という意識 感覚 

根源的なアイデンティティというのが最も正確な言い方である 

この実存に関わる部分は 直接 ニサルガダッタの 日本で出ている唯一の本 

私は在る を参照いただきたい 

エゴの私は個人的な自分が存在するという感覚で

肉体として生きていく上ではある程度必要なものなのだが 

新たなステージへの段階としては 

その殻を脱ぎ捨てなければならない

というよりもその殻は本来ないものであり 

とりあえず外界から無防備なままでは自分というものを守れないよ 

というテーマで作られたもので

外界も自分もそもそもないんだよ という段階に来ると

それはいらないものに なるのである 

しかしそのレベルはかなり高いもので 

そこまで完全に至らなくても

せめてもう少し自我、エゴを抑えて

薄めてあらゆるものに対しての執着を軽くしてゆこうというのが現実的な心構えと言える 

そこから初めて やがて 自他というものが存在しない 境涯 

世界も自分も同じもの 

あるいは自分の中に世界があって 

世界の中に自分がいる 

そういう段階に至ったら

最終的には二元性のこの宇宙を卒業していくということになる